休憩室

人間を休んでいる

「異形の”不”正解」が持つ力

 (無言で右手に握りしめたハツカネズミの生首を差し出す)(無言で右手に握りしめたハツカネズミの生首を差し出す行為を挨拶とする部族の出身なので)(嘘です)

 

 遅まきながら映画『セッション』を観ました

 世間は『シェイプ・オブ・ウォーター』のアカデミー賞4冠で騒がしいというのに、2015年アカデミー賞3冠作品をのうのうと観ていました。寺山修司言う所の(だったっけ?)最初にやる天才にも、最後までやらない豪傑にもなれない、ただのバカなので

 

 

  

 それで、「一番怖いのはフィッチャー先生ではなく監督」という感想になったのですが、何でかってというと、この映画全体が、役者が言っている事とやっている事、起きている事が不整合だからなんですよね。例えば、

 

 ・「チャーリー・パーカーが”バード”になれたのは、シンバルを投げられたから」と言うエピソード→シンバルを投げた因縁のジョージョーンズとの再会の演奏の際、「あそこでは”バード”は生まれなかった」とするエピソードを語り、スパルタ教育を否定するような物言いをしつつ教育現場では生徒にシンバルを投げ続け、「ジャズは終わっていく」と言いながら自身は「スターバックスで流れてるような」終わった演奏をするフィッチャー先生

 

・「バディ・リッチを目指す」というこの上なく明快なジャズ志向でありながら、ジャズのスタンダード・ナンバーを一向にメモリーする気が無く、テンポがまともにキープできないということをトラウマレベルで指導されているにもかかわらず、最後まで一切メトロノームを使わず、ただただ叩けるテンポを上げることだけに執念を燃やすアンドリュー君

 

 などがあります。

 

 菊地成孔氏が執拗にやった『セッション』と『ラ・ラ・ランド』批判で、監督・ディミアン・チャゼル氏の変質者じみたジャズへのストーカーっぷりは十分あぶり出されていると思うので、これ以上その方向に付け加えることはしませんが、個人的にはあの2作でもってディミアン・チャゼル氏は自ら、己に「ジャズ・ドラマーとして大成出来なかった自分」という呪いをかけてしまった様に思います。『セッション』でジャズへの恨みを全部晴らせればよかったのにね。『ラ・ラ・ランド』でもずるずるやっちゃったからもう延々と引き摺るしかないでしょう。これを断ち切るには『セッション』なんて吹き飛ぶレベルの浄化をやる必要があります。

 

話は変わりますが

 最近クラファン画家なるものが炎上しているのを観測しました。火が怖いので本人のツイートを貼ったりはしません。われわれは宇宙的観点からは未だそして永遠に野生動物である

 

kyoumoe.hatenablog.com

kyoumoe.hatenablog.com

 火事の遠景です。

 

 全然絵を練習する気のない(ように見える)元ラッパーの(そして飽き性に見える)人が、ホームレスでやったり、クラウドファンディングでやったりしておこられているようです。詳細は各自お願いします。火が怖いので。

 

 それで、なぜ『セッション』の話から突然クラファン炎上にいったのかというと、ここには、人間に「これはおかしいだろう!」と無理にでも言わせる力が共通してあるんですよ。

 

 文脈から外れた存在、"不"正解に、大勢の人々が気づくことは基本的にありません。人間誰しも帰属する社会は、その社会自身の持つ文脈にあった正解(ダブルミーニング)を基本的に提示するものです。”不”正解を排除するのが公教育(特に国語)と認知療法であり、不正解を排除するのが法と社会慣習、あと獄です。

 

 不正解を見つける能力の高い人がいます。彼らは社会に現われる様々な現象から不正解を抽出できますが、多くの社会問題は、そういった現象を見つける能力の高い人々、例えばジャーナリズムや官僚、悪いオタクなどによって「問題」として加工され、解決すべき問題として提出されます。これが「不正解」を咎めるものとして認知される時、形式は正解です。この作業の結果、彼らは不正解を見つける能力の高い人と見做されます。

 

 ツイッターでの炎上も、それに加担した人間全員が当該ツイートを参照して燃えるのではなく、目ざとい奴が悪意ある形の「問題」に加工して、解決という名の暴力的RTやリプをやっていくわけです。

 

 人間は不正解を見つけ、「解答」として殴りにかかるのが大好きですが、”不”正解を殴るのはあまり得意ではないようです。基本的に公教育のおかげで社会に”不”正解を出す要素が激減するというのがあります。見慣れてないと殴りにくいよな。例外的にこれが得意な人間が集まる界があり、一般に法曹界、学界などと呼ばれています。あと悪いオタクはこっちも大体得意。悪いオタクは本当に悪い。

 

 (正解と不正解の線引きをしている「不」についてですが、嵐の海に浮かぶ木みたいにガンガン動く模様です。”不”については、メタ視点です。)

 

 『セッション』、『クラファン画家』いずれも「問題以前」であり、かつ(方向は逆ですが)どちらも”不”正解として現れています。『セッション』は「問題」の提出に(おそらく意図的に)失敗するという形で。『クラファン画家』は、思想史・芸術史の文脈を理解しないまま無教養主義を体現した、意図せざるポストモダン・アート的人間になりうるという形で。

 

 だから『セッション』は内容より監督のディミアン・チャゼルが面白いのであり、『クラファン画家』は絵より本人が芸術的に面白いのです。

 

 ついでに言うと、『クラファン画家』の炎上は、他のツイッタラーの炎上とは一線を画すことが(かなり強引に)できます。彼は自ら「画家」という芸術家の一形態を名乗っている事で、自分の行為をコンセプチュアル・アートとして解釈される権利を(好意的に見れば)得ているからです。「画家としてあるとはどういうことか?どこからが画家なのか?」という問いを体現している、「今まさに生きられている芸術」ともいえます。

 

現代のアートは自らに向けられた偶像破壊的な身振りを流用し、そうした身振りを芸術制作の新たな様式とすることで何度も力を示してきたのである。現代の芸術作品は、より深い意味においても自らをパラドクス・オブジェクトと位置づけた──イメージであると同時にイメージの批評でもあるものとして。*1

 

 画家のイメージであると同時に画家という制度そのものへの批評でもあるものとして生きる芸術家のイメージ『クラファン画家』。絵を売らずに本人を売るクラウドファンディングで、なまじ50万円集めてるのでさらに説得力が上がる。燃えてから芸術家を名乗るヤツはフェイク

 

 ……分かりますか?これが「問題」への加工です。こういう引用をつけるとさらにそれっぽくなるな。何人かは騙せそう。

 

 本来あからさまに提示されている『問題』が構造的に自滅している、問題提起としての”不”正解『セッション』。

    本来ただの一炎上にすぎなかったものが、アーティストを名乗りクラウドファンディングで金を集めた結果、彼そのものをアートとして擁護しうる可能性を残した、不正解としての”不”正解『クラファン画家』。

   

    これらは観た人間に殴りたいと思わせずにはいられない魅力を放つ「異形の”不”正解」なのです。

 

 ……ここまで書いといてあれですが、オレは『セッション』、『クラファン画家』、どっちともダメです。『クラファン画家』に関しては、オレが知らないだけでアウトサイダー・アートの歴史の中に先駆者がとっくの昔にいそう。擁護は難しい技術。

 

さいごに

 

 ……しっかし、オレも金欲しーなー。黒塗りしてピアノ弾いたり、精液で小説書いたりすればいいのかな。

 

 では。

 

 

アート・パワー Art Power Boris Groys

アート・パワー Art Power Boris Groys

 

  アート・パワーは良いぞ

*1:ボリス・グロイス『アート・パワー』現代企画室、p21-22

ブリティッシュ・ジャズと、瞬く冬のながびき

 2月は1年で最も短い月だ。けれど、マフラーの覆いきれなかった首元の寒さが、夜への距離を引きのばしていく。容赦ない凍えた風は紙やすりで擦るように痛く、そのうえ沁み込んで来るから性質が悪い。

 許し難い大地。だが仕方ない、これが2月だ。

 

 記憶に間違いないなら、ぼくが最初に聴いたブリティッシュ・ジャズのパーソネルには、Kenny WheelerJohn Taylor、そしてNorma Winstoneがいた。

 

youtu.be

 「とても透明な音楽だ」。初めて聴いた時そう感じた。この音楽が成立している世界の様子を想像する。乳白色の煉瓦造りのアパートメントが立ち並び、赤や濃いグレーのアスファルト、あるいは石畳の路地。しかしこの街の主役は建物ではなく、その間の空間にある。Kenny WheelerJohn Taylor、Norma Winstone達は、街の空気を透明な絵の具で色づけていく。Kenny Wheelerの絞り出すような高音は、その必死そうな音色とは裏腹に、熱さとは無縁の雰囲気がある。ひたすらに冷たい。

 "O"を聴きながら歩く。太陽は傾いて5時。イギリスと日本の大気組成が変わらないことを改めて実感させるAzimuthの人々。ブラジルのフュージョン・バンド、Azymuthと間違えたりするのは所謂"あるある"話だ。

 だが、Azimuthの音楽には"痛さ"が無い。空気から痛覚を抜くことができるのだ。彼らは。

Azimuth / The Touchstone / Depart

Azimuth / The Touchstone / Depart

 

 

 家に帰って、レコードを組み立てる。George Shearingのレコードを探すが、おっくうになってくる。部屋が耐えられないほど寒いのだ。エアコンをつけ、温まるまで布団の中にうずくまっておく。スマートフォンyoutubeにつながっているから、彼の演奏を探す。youtubeが、スマートフォンが青春の途中からやってきた世代の人間としては、未だに悪い行為の様な気がする。だけれど世の中には悪い人間ばかりだし、かくいうぼくもそうだろう。

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 George Shearingは「ロック・ハンド奏法」という奏法でピアノ弾きの中では有名だ。ぼくは手が小さいから、オクターブで収まる彼の奏法には助けられた。しかしとにかく上品だ。演奏内容だけでなく演奏中の佇まいにしてもそうだ。詳しいことは知らないが、彼はハーブもコークもしていないような気がする。

 布団をかぶっているから周りは真っ暗で、小さな画面の中でGeorge Shearingだけにあてられるスポットライトだけが遠くに見える感じだ。コンサート会場の後ろの方に座っているような気分になる。実際は正座に蹲るようにして、凍えているのだけど。

 George Shearingが冬の音楽かといわれると、全部がそうとは言えないと思う。ただ、きっと暖炉つきの部屋の中で聴く音楽だろう。寒いところで、ましてや外で聴く音楽じゃない。寒さは外にあるべき音楽だ。

 

 ようやく厳しいのが足先くらいで済む温度になり、いそいそとベッドから抜け出す。晩飯を作らなければならない。飯を食わなければ動けないのに、飯を作るのがだるくて動きたくなくなるのだから、人間はあまり合理的にはできていない気がする。生命の循環論法。動け、飯を作れ。お湯は温かいぞ。

 気分を盛り上げるためにスピーカーに接続したままyoutubeを連続再生。たまたま流れてきたのがJames Taylor Quartetだ。

 

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 ぼくは彼らのムーブメントを良く知らない。クラブという存在が、遠い。クラブではダンスをする(らしい)。ダンスというのはカロリーを消費して、ただ、それだけだ。ぼくには合わない。しかし、寒い。行ったこともないクラブの様子を想像して、身体をそれっぽく動かしてみるけれど、自分のぎこちなさに耐えられなくなってやめる。ぼくは踊れる人たちがうらやましいだけなのだろうか。そんなことはないだろう、と思う。

 具のないぺペロンチーノが出来た。これで十分だ。温かさに代えられるものがどこにあるだろうか。財布だって温かい方が好きだ。いや、好きなのはぼくだけかもしれない。財布も体型を気にしたりするのだろうか、できれば太っちょでいつづけて欲しいのだが。

 見えないピンクのユニコーンに乗る見えない好色家たち。神経不安症の女たちは踊る。自らからの搦め手を逃れるために。暗い箱にミラーボールは回る。さようならスペース・カウボーイ。肉のない青椒肉絲と具のないぺペロンチーノ。

 この部屋にも女はいない。最後の女が消えてからずいぶんたったはずだが、瞬くような時間しか経っていないように感じられる。そう言えばずいぶん夏が曖昧だ。

 

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 イギリス音楽といえば、と多くの人に聞いたら、まず挙がるのはロックだろう。この分野に関して、あの国は、数え切れないほどのスーパースターを輩出してきた。

 ジャズは常に他の音楽を吸い上げ、自分の文脈に消化して生き続けてきた。George Garshwinはそれこそスウィング・ジャズの初期から吸い上げられてきたし、なんならディキシーランド・ジャズの名曲には黒人霊歌も多い。バンド経営に行き詰ったCount Basie Orchestraは、『Basie on the Beatles』なんてアルバムを出す。

 Go Go Penguinはバランス良くすべてを引き受ける。ドラムの繊細な音色の使い分けによって、雰囲気はブリティッシュ・ロックからエレクトロニカまで自由自在。ピアノはミニマムなプレイをすることが多いが、ベースはそこまでプレイをパターン化すること無く、音楽全体を支配するモードのアクセントとして機能している。あらゆるジャンルに根を張り巡らせ、吸い上げているのが分かる。

 熱いといわれるかと難しい。Penguinとはいっても、Go Goと追いたてる。北風を追い風にしているような気分だ。

 

 

 飯を食い終わった。何かしようと一瞬思ったけれど、眠い。寒いと眠くなる。フランダースの犬にもそう書いてある。

 シャワーをいそいそと浴びて、中学の時から使っている上下揃いのジャージに着替える。お湯をそんなに使いすぎるのは良くない。ガスも電気も水道も全部使うのがシャワーだ。素早く使って出るに越したことはない。アメリカ人は3分でシャワーを終えると聞いたことがある。奴らがさっぱりする間に、ウルトラマンの仕事は終わる。ありがとう、さようならゼットン。この2月だけでいいから、2兆度の炎の温かみを少しだけ分けて欲しかった。

 目を閉じると、ぼくは程なく意識を失った。喉を傷めないようにエアコンを切る。張り詰めるような静寂に、外の冷気が呼応したのか。風の入ってくる場所はないはずなのに、どんどん外気と室内の温度が近づいていく。停止線、死の平衡温度。

 煮汁の入ったままの鍋がやけに目立つ部屋が、雑然とした棺に変わる。ぼくの眠るからだはふわっとベッドから浮き上がると、一瞬の後、綿埃の目立つ布団だけがぱさっ、と音をたててベッドに落ちた。 

 

Easter [12 inch Analog]

Easter [12 inch Analog]

 

 復活祭の日までぼくはロンドンや上海、東京の空気になるだろうし、姫葱の芽、桜の芽、梅の花になるだろうし、 目白や雀の鳴き声になるだろう。痛みのない冬、遠ざけられた冬、忘れられた冬。追いたててくる冬。すべてが時の帳の向こう側へ去った後、艶やかな貞淑さを纏って、春がやってくる。

 

 ただ、ぼくがこの世界に再び目覚める日は、きっとそう遠くないんじゃないんだろうか。こんなに熱く素晴らしい音楽が生まれているのに、簡単に死んで、消えてなくなってしまうのはあまりに惜しいだろう。

 なんといったって、2月の世界に春がやってきたのだ。Ashley Henry & the RE:Ensembleによって。

 

あとがき

 ……駄文を長々とすみませんでした。Ashley Henry & the RE:Ensembleの新譜、『Easter』が余りに良すぎるということを、小説っぽく伝えようとしました。

 イギリス生まれのキーボーディストAshley Henry責任監修、ラテンからRobert Glasper Musicまでを厳選し6曲に凝縮したのがこれです。結果的に1曲1曲の粒立ちがやばいことになっており、アルバムとしての長さも絶妙(30分ちょい)で、一瞬で一周し、リピートを繰り返すため時間が延々と溶けます。

 LAで活躍している様ですが、発売元はイギリスなので(Sony Musicのイギリス法人)、ブリティッシュ・ジャズに含めていいだろうということですね。”ブリティッシュ”・ジャズとしてのセールス的最大の成功は、おそらくアシッド・ジャズであり、先に挙げたJames Taylor Quartet以外にも、IncognitoBrand New Heavies、もっと広げればJamiroquaiも入るでしょうが、私がまだまだこのジャンルを未開拓なので、それほど掘って解説することはできませんでした。これ難しい。

 

 毎年凄まじい数の音楽が生まれ、そして忘れられていきます。

 皆さん、それぞれのベストアルバムを掘っていきましょう。

 

 それでは。

 

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。

 各位、2019年まで生存しましょう。わたしもまた、生きていきます。

 今年の目標は、生存です。生存の余剰として成果があります。

批評的なものをどうするかについて

 基本的に、

 『小説やエッセイ、軽い批評』などはカクヨム

 『商品紹介とか好きなもの紹介みたいなブログ的な記事』

はここでやっています。(すべてにおいて更新が滞っていますね……?)

 

 ただ、批評的なものに関してなのですが、こればかりは今後はてなブログでやろうと思いました。理由は端的にアーキテクチャが批評に向いているからです。カクヨムハイパーリンク使えないし注釈記法も使えないし……と記法にものすごい制限があるんですよね。その点はてなブログはやり放題なので。

 

 これはたぶんWeb小説プラットフォーム全般に言えることですが、メディアをせっかく物理媒体から電子媒体に転換したのに、小説の記法としての思想が物理=紙媒体の思想をそのまま踏襲しちゃってるんですよね。もっと自由度の高いプラットフォームがあればなあ……と思っていますが、自作する力量が無い。力及ばず……。無念。

 

 書きたいことは色々あるので、そんなにガッツリやりたくねえな、ぐらいに思ったことを「考えたこと」タグつけて書き捨てていきたいと思います。一回アウトプットすれば、脳内で延々と同じことを周期的に考えてしまうことから脱出できることに気付きました。気づくのが遅い。

 

なんとか、生きていく

 死なないことのハードルが(自分にとって)結構高いということに気づいたので、精神と肉体が死なないように頑張ります。最近はChristian McBrideの『Live at Tonic』聴いてます。CD3枚分にみっちり詰まったライブ+セッションを前にして、演奏のヤバさ以前にコイツら体力が無限では?という疑問がわく。

 

ライヴ・アット・トニック

ライヴ・アット・トニック

 

 

 それでは。

今年聴いた良かったアルバム

 こんにちは。年末、振り返るべきことはたくさんあります。

そこには過ぎ去りし日々の死体が、、、

 

今年は70枚くらい聴いた

 はい、野暮ですが前回のエントリ通り、人間は量を自慢するために量を消化しても何にもなりません(第一年間70枚とか到底自慢になる枚数ではない)。これくらい聴いてる人の「良かった」だと思ってもらえればいいです。

 

 去年出費がえぐいことになったので、Apple Musicで抑えようとしたのですが、ダメでした。Apple Musicに無いアルバムを買っちゃうんですね。人間の性があり、業があります。

 

 気になるのがあったら、例によって年代バラバラですが……お近くのタワレコHMV、中古CD屋、林檎音楽などを利用する手があります。聴いていきましょう。それでは、ガンガン行きます。

 

ジャズ

 

Alcanza

Alcanza

 

 上半期にリリースされ、今年の個人的ベストアルバムと化した、キューバ人ジャズピアニストFabian Almazanの『Alcanza』。今後ジャズにおいてはラテンアメリカの流れが(ますます強く)くると思っているのですが、来年もその筆頭だと思われます。弦楽四重奏団とジャズのオーソドックスな楽器が対等に機能しており、楽曲も交響曲を思わせる配置。ベースのRinda Oh、ドラムのColy Henryが野太く力強すぎるため、弦楽四重奏団の音色までもが異様なエッジを持つことになります。相当クラシックを意識していると思います。本人の好きな作曲家にショスタコーヴィチがいたので、わかりを得ました。胃もたれするほど濃いサウンドなので、覚悟完了してから聴きましょう。

 

Introducing Tierney Sutton

Introducing Tierney Sutton

 

 今をときめく謎ジャズシンガー、Gretchen Parlatoを教えたりしているTierney Sutton先生の アルバム。王道を王道通りやり、且つ楽しんでやることで、「教科書的」を超える演奏が出来るのだなとひしひし伝わってきます。個人的には『High Wire』がぶち上がるので好き。そういえば今年、絶版してて超高額で取引されてたGretchen Parlatoの自費リリースアルバム、『Gretchen Parlato』が再版され、反射で買ってしまいました。業です。

 

モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのフィル・ウッズとヨーロピアン・リズム・マシーン

モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのフィル・ウッズとヨーロピアン・リズム・マシーン

 

 Phil Woodsに関しては、フリージャズまで出来るCharlie Parkerという感じで控え目に言って最強なので、アルバムを目にしたら買わなければならない。日本国憲法にもそう書いてある。 とにかく「倍音?なにそれ?デシベルあるの?」という平面的音色かつ尋常じゃない轟音で吹き続けるので、リズム隊のテンションがおかしくなっている。観客もおかしくなっており、無理やりアンコールで舞台袖からPhil Woodsを引き摺り出している感がある。

 

En Subida

En Subida

 

 王道のハード・バップ、スタジオ録音だと良く聴いた、Quinteto Urbanoの『En Subida』。アルゼンチンのHigh-Five Quintetともいうべきシャレ乙さと熱さを兼ね備えている。思ったほどラテンのクセが強くないので、聴きやすいと取るか、物足りないと取るか。1曲目『Travesia Urbana』は速度がでている。

 

 

Gravity Zero

Gravity Zero

 

  フランスからの刺客、鍵盤奏者のLaurent Coulondre『Gravity Zero』は、ドラマー4人と入れ替わり立ち替わりデュオをやるという馬鹿が考えそうなことを実際にやってみたアルバム。ドラマー4人が同時に演奏している曲もあり、控え目に言ってジャングル。Mehlianaの『Taming the Dragon』といい、ジャズピアニストとドラマーのデュオは可能性を極限まで広げてくれることを教えてくれる。『Nitro』は題名通りテクニックが爆発している。しかし最近のドラマーはみんな上手すぎて怖い。どうなってんだ。

 

Painter

Painter

 

  「ドラムはメロディー楽器」を体現するAri Hoenigですが、しょっぱなの『I Mean You』でおかしなスピードでテーマをたたき出します。付いていく周りがすごい。普通に叩いている時も繊細なシンバルの音色コントロール、異次元なブラシワークなどが曲全体の雰囲気を支えていて、ドラムの革命手の名にふさわしい実力があることがありありとわかります。繰り返しになりますが、ドラムはメロディー楽器です。

 

 

Apex

Apex

 

  「繰り出される旋律が蛇使いの笛に最も近いサックスプレイヤーランキング」殿堂入りのRudresh Mahanthappaですが、超傑作『Bird Calls』に比べるとかなり理性を保っており、おそらくJack DeJonetteやJason Moranによる丁寧な空間作りが貢献しています(Matt Mitchellとかブレーキがぶっこわれてるからね、仕方ないね)。理性を保っているからダメかといわれるとそうでもなく、『Who?』のBunky Greenとのサックス2人によるイントロからの流れ聴いていると、こいつらには何が視えているのか、という気持ちになります。

 

in Tokyo

in Tokyo

 

  ブラジルの万能人、Antonio Loureiroは今回ピアノとボーカルをやっている。他のプレイヤーは日本人なのだが、世界観の共有がしっかりされているのか全く日本感なく完全に現代ラテン音楽として聞こえる。とにかくピアノの輪郭がはっきりしており、ボーカルと右手がユニゾンすることで強制的にブチ上がるのが卑怯。『Lindeza』とか特にヤバい。

 

Voyager: Live By Night

Voyager: Live By Night

 

  現代ジャズ・ドラマーの最高峰Eric Harlandですが、ドラムはJohn Coltrane(サックス)から学んだとか頭がおかしいことを言うだけあって延々と演奏を過熱させます。メンバーも当世最強といっていいメンツであり、特に当時23歳のギター、Julian Lageの反応スピードとメロディー構成力がすでにおかしい。1曲目『Treachery』で完全に優勝する。

 

オープン・ブック [日本語帯・解説付] [輸入CD]

オープン・ブック [日本語帯・解説付] [輸入CD]

 

  現代において、ジャズへのクラシカルなアプローチをとるジャズピアニストの中では間違いなく最高のFred Herschがまたもや正解を叩き出した。アレキサンドル・スクリャービンの様な音模様が即興で完全に構成されており、そのまま写譜して知らない人に見せたら、即興音楽だとは気付かれないのではないか。1曲目『Orb』を聴くと魂が肉体ごと浄化され、エントリが書けなくなる。

 

Connection

Connection

 

  Don Ellisは買うことが憲法やら聖書やら、というレベルでは無く、気づいたらいつの間にか手元にあることになっている、という感じで、つまりどうしようもありません。病気です。常に最高。

Rock,Pop

 詳しくないジャンルを語る時、まとめておくことによって流血を回避することが出来る(出来ない)。

 

SUPERFINE

SUPERFINE

 

  冨田ラボが「最近Mark Guilianaとか聴く」、とか言っている記事を見て「!?」という気持ちになりましたが、『冨田魚店』の間奏を聴いてなるほどをしました。1曲目の『Radio体操ガール』を聴いて「YONCE……こんなに虐められて……」という、「すげえ!」よりも先に「作曲者やりすぎでは?」の気持ちが来ました。

 

Dirty Projectors

Dirty Projectors

 

  このアルバムで初めてDirty Projectorsを知ったのですが、アレンジがとにかく自由すぎて感動しました。何曲かからそれぞれ別のアイデアを引っ張ってきて、奇跡的なセンスでバランス良く調合する感じ。Flying Lotusを初めて聴いた時の感覚に近い。ボーカルのデイブ・ロングストレスとかいう人生がつらそうな苗字のリーダーですが、ずっと一緒にバンドやってきたシンセの人と別れてショックすぎ、立ち直り、これを出したそうです。強く、いきていくこと、だいじだ、、、

 

世界はここにしかないって上手に言って

世界はここにしかないって上手に言って

 

  とにかく『SUNNYSIDE』だけでも聴く価値がある。Aikoが現代ジャズ沼にぶち込まれたような様相を呈しており、『南へ』よりはかなりPopになったと思う。シティ・ポップといわれる人々がいるけれども、彼らはポップ→クラブ系グルーヴであり、ものんくるはジャズ→ポップなので全く逆だと思う。ジャズ編で出さなかったのはそういうことです。もっといろんな層に売れて欲しい。

 

COLORS [CD]

COLORS [CD]

 

  恥ずかしながら初Beckだったのだが、「こんなファンキーなコード進行でこんなにポップに!?」と、困惑しながらぶち上がる変な体験をしてしまった。『Dreams』の冒頭とか今すぐサッカー日本代表の応援歌にした方がいい。かなりのトラックを積んでいるとは思うが耳にはシンプルに集積されたすばらしみが届くので、「これが売れる音楽というヤツか……」という思いを新たにした。

その他

 

白鳥おどり 白鳥の拝殿踊り 石徹白民踊

白鳥おどり 白鳥の拝殿踊り 石徹白民踊

 

  衝動的に購入した岐阜の民謡集ですが、なんといっても各CDの最後についている謎リミックスから、おどろおどろしいトリップ感が発生していてそれ目当てだけでもかなりいいと思います。日本にはグルーヴが無いのか。否、ここにある。

 

DIAMONDS/ICE [12 inch Analog]

DIAMONDS/ICE [12 inch Analog]

 

  当方、海外のアーティストに関してほとんど歌詞を無視し、サウンドのみを重視してしまう傾向にあるので、ヒップホップのリックの良さなどについて一切語ることが出来ない(かなしいけど仕方ないね)。それでもやはりJ Dillaのトラックから発生する気持ちいいヨレを感じることはできるし、現在ヒップホップ発のビートがどんどん他ジャンルの土台を攻めていっているのも腑に落ちる。今年は他にもNxworriesの『Yes Lawd!』や、A Tribe Called Questの『We Got It From Here... Thank You 4 Your Service』もよく聴いた。歌詞のわかりが得られるようになりたい。

 

Curious

Curious

 

  エレクトロニカには無限の可能性が残されている。それは科学技術であるからだ。人類が滅びない限りこのジャンルには工夫の余地がある。ドラムマシンの音色が若干時代を感じさせるといえばそうだが、それでも総体として出てくる音は時代を超越するものがある。こういうものを聴くために、生きている。

 

ライヒ:管楽、鍵盤と弦楽のための変奏曲

ライヒ:管楽、鍵盤と弦楽のための変奏曲

 

  Steve Reichは血液の様な音楽をしているので、定期的に聴くことによって生命を維持することが出来ます。ナウシカ成分を心なしか感じることが出来る。てか久石譲ミニマル・ミュージックのアルバム出してるしそりゃそうか。

おわり

今年は、Thundercat『Drunk』、Kurt Rosenwinkel『Caipi』、Kendrick Lamar『DAMN.』など、かなりの話題作が登場して音楽シーンが全体的に盛り上がってたような記憶があります。宇多田ヒカルも結構出してましたね。音楽は良いということがわかる一年でした。2018年は音楽が良いということがわかる一年にしたいとおもいます。では。

今年読んだ良かった本(小説以外編)

これの続きです。今回は小説以外。ジャンルが広すぎではないか。広いとは何か。何かとは……

2018、余計なことは考えないようにしていきたい。

 

学習関連 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 反知性主義について学べると思いきや、ほとんどがその源流となった『リバイバリズム』についての歴史的説明になっています。が、これが予想以上に面白かった。アメリカは自由以前にマジでガチガチのキリスト教国だということが分かります。「馬鹿で良い、馬鹿が良いことなんだ」、という反-知性-主義ではなく、「エリートはダメだ!」という反-知性主義ですね。政教分離が日本と全く違う文脈でとらえられていることも面白いです。個人的には今後世界中で宗教の復権が行われるとみているので、こういう本を読んで知ったかぶりしていきましょう。

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

 

  現代左翼のバイブルとされた本。資本主義が国家主権を実質的に解体し、差異をひたすら生成する、見えない統一的な〈帝国〉という形態の主権が誕生しつつある。この脱中心化された主権の暴力に対し市民はどう抵抗するのか、という趣旨ですが非常に厳しい戦いだなあというのが読後の感想。だって抵抗運動自体が下手やると資本主義の欲望する差異の源泉になっちゃいますからね。SEALDsとか結果的にうすっぺらい人文書売りさばくのに貢献しただけなので正にそうです。うまくやらないといけない。リベラルはどこにいくのか。

 

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

 

  フランスの右翼的統計人口学者、エマニュエル・トッドの代表作(一般向けとしては)。「アメリカかまってちゃん説」が提唱されており、実は今アメリカは皆が言う程の超大国ではないのだ、という論旨。アメリカの右翼は当然キレるが、アメリカを強者とみて非難するアメリカ文化左翼チョムスキーとか)まで非難するのでどこまで敵に回すんだという印象。一時期ヨーロッパでの外交戦略の思想的バックボーンとして使われていたようです。トッドはフランス人に共通するドイツ嫌いがすごいのでフランスの政治的ダメっぷりにお困りのご様子。文春からすごいペースで新書が出ている気がする。

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

  「積極的棄権」で炎上したりしたが、なんだかんだいって東浩紀は今一番キレがいい”現実にコミットした”哲学者ではなかろうか。読んでるとやはり上で紹介した『〈帝国〉』の影響は凄まじいものがあると感じる。国家は依然複数存在しているのに、資本はグローバル化されて統一されてしまった。その断絶がどのような歪みをもたらすのか。こういう世界で市民たちはどう生きていけばいいのか。「とにかく否定」になりがちなデモをやんわりと拒絶し、既存の秩序を偶然で掻き乱す『観光』を提案するのだけど、はたして。 

  満を持しての古典。注釈が多すぎてビビるが、この注釈こそが近代社会学創始者としてのキモだったのではないか。言いたい事の概念と範囲をきっちり指定し、その範囲内で言えることだけをいうために資料を集め、必要な史料批判はちゃんとする。ゾンバルトが殴られ過ぎてかわいそうになるが、ゾンバルトも本書での議論をするための前提として必要不可欠だったし偉大さは変わらないので馬鹿にしてはいけない。

 

有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

 

  前半の、「カント以降の相関主義を乗り越えつつ実在論復権させるためにはどうしたらいいのか」に関する論証の凄まじい緻密さもよいが、そんなに哲学に興味無い人は、哲学者はどうして「コペルニクス的転回」の意味を取り違えてしまったのか、というメイヤスーなりの考察である四章だけでも読むと面白いかもしれない。「物自体」はそれ単体では語りえないとする相関論の原点となったカントの認識論的転回(カント自身は物自体に関してそこまでラディカルではないのだが)の取り違えを非難する。哲学面白いけどはまりすぎると社会をやめないといけなくなるのがつらいところですね。みなさんは社会をやっていますか?

 

ゲンロン6 ロシア現代思想I

ゲンロン6 ロシア現代思想I

 

  「ロシアをやる」の要因の一つになったロシア思想特集だったのだが、現代ロシアはとんでもねえ。日本は前の体制が死んでから70年以上たったが、ロシアはまだ20年ちょっと。この差はでかく、様々な思想が爆発的に出てきては別の思想が出てきたり忙しい。思想見取り図が付いているのがほんとに嬉しい。プーチンの思想的ブレーンと目されているアレクサンドル・ドゥーギンは若干オカルトが入っており、日本における安倍総理婦人だったり、上述の反知性主義勃興などと結び付き、現代は20世紀教養思想の転換点にあるな、と強く感じる。

 

アート・パワー Art Power Boris Groys

アート・パワー Art Power Boris Groys

 

 『全体芸術様式スターリン』と並んで今年読んだ中ではベストだと感じた、ロシア圏の評論家、ボリス・グロイスの論文集。「売れたら勝ち」の市場至上主義が蔓延する現代アートシーンで、アート批評と社会批評を再び結びつけようとし、アートの政治力を復権させようとする前向きな努力。〈帝国〉に対する抵抗の1つのアプローチとなるか。東浩紀が『観光客の哲学』で観光がもたらす偶然性(≒郵便性)に期待しようとしていた所、『複製ツーリズム時代の都市』で、経済的要請からみんなが観光客になり、そして場所も人々から求められるようにして観光地化していくと述べて、観光客の郵便性を、差異の生成装置として捉え無力化しようとしている。すべての論考が、掘り下げていけば狭い美術批評の中だけでなく社会批評やアイデアを生むきっかけとして機能するように出来ている。一本一本はわりと短いので濃度があり、強い。

 

我々みんなが科学の専門家なのか? (叢書ウニベルシタス)

我々みんなが科学の専門家なのか? (叢書ウニベルシタス)

 

  Twitter、やってますか?有名人や政府、叩いてますか?

叩くためには、つまり一般人が専門家の話している所に割り込んで文句を言うには一体どんな知が必要なのか、特に科学と技術に絞って描かれているのがこの本。これを読んだ後、原発問題とか考えると、一般人がそう気軽に技術的な話とか語れるものではないのではないかという知見が得られるし、Twitterで他人にかみつくには相手のレベルに匹敵する知識と技術がいるということがわかってきてよいと思います。他人の気持ちになる、尊い

 

批評とポスト・モダン (福武文庫)

批評とポスト・モダン (福武文庫)

 

  全盛期の柄谷行人の切れ味は異常ということが分かり、議論における柄谷行人の構造的な強さが分かってきます。論争中の問題について、絶対に同じステージまで降りて戦うことはせず、その問題が生まれているそもそものメタ構造に注目して土台ごとひっくり返す、場合によっては問題の前提を反転させることまでやります。どうして今はアヘアヘ憲法九条フロイト的無意識おじさんになってしまったのか。

 

哲学者にならない方法

哲学者にならない方法

 

  土屋賢二は、哲学の話よりこういうプライベートなエッセイの方がはるかに面白く、実質さくらももこなのでは?という疑惑があります。よく対談本出してたなそういえば。

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 官能小説家の帝王、大好きな団鬼六先生のノンフィクションですが本当に読ませるのがうまい。というか小池重明がそれだけ濃厚な人物ということもある。将棋しかなかったのにプロ棋士の機会を自分で潰してしまう生粋の破滅男の話。『聖の青春』の次はこれを読め!その後団鬼六の官能小説を読んで股間にビビっと来い!

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 必要なもの、それは体力と忍耐。 

 

戦争サービス業―民間軍事会社が民主主義を蝕む

戦争サービス業―民間軍事会社が民主主義を蝕む

 

 戦争といえば国家対国家、そんな時代がありました。現代はもうそうではない。アメリカ軍の多くの面(所によっては新兵教育すら!)を民間軍事会社が代行しているという告発。国家対国際テロ組織という非対称戦争の概念が叫ばれているけれど、本当に現代国家が本気で戦争をしているのか?国家が自らの戦争を完全にコントロールできているのか?アブグレイブ刑務所における捕虜虐待事件に民間軍事会社が関わっていたことなどを考えると、教科書で習っていたことを現実が追い抜いていくペースが尋常じゃなく早いことが分かってきます。

その他(詩とかエッセイ、あとわかりが不明の学術書)

今年はわかる本だけではなく、わからない本もありました。

 

形式化された音楽 (単行本)

形式化された音楽 (単行本)

 

  はい、ヤニス・クセナキスの作曲ハウツー本、『形式化された音楽』です。なにひとつ分からん。どうして作曲をするのに確率分布、マルコフ連鎖ブール代数、熱力学についての知識が使えると思ったのか。どうしてその使い方で良いと思ったのか。解説がさらに面白く、クセナキス自身はこの本の方法論で作曲していた時期は少なく、しかもそこから傑作はあまり出てないだとか、数学的な技術に関して気遣いか補遺を残してるんだけど、「完全に間違っており、意味不明」とか書かれている。人間は何かを産み出す際、とても苦しみ、傍から見たら完全におかしいのでは?というところまで行かなければならないということがよくわかります。俺もおかしくなりたい。みなさんはおかしくなりたいですか?

 

小笠原鳥類詩集 (現代詩文庫)

小笠原鳥類詩集 (現代詩文庫)

 

  小林銅蟲先生が紹介していたので知った詩集ですが、何一つ分からん。が、すごいことが行われているということ、独特のおどろおどろしさ、非人間的冷たさがあるということは何となく伝わってきます。言語自体を動物と見立てて、自由にさせてるという解説を見てなるほどな、と思いました。言語に意味を持たせているのは人間で、言語さんサイドからしたら意味などお呼びでないのかもしれない。日本語表現の可能性という点では、この本にかなり刺激されました。ページ数のわりにクッソ読むのに時間かかったけどな!

 

人生論(新潮文庫)

人生論(新潮文庫)

 

  わかるけど、わからない、、、わかることを、エゴが、煩悩が邪魔をするんだ……

おわり

 こうみると今年は小説よりも馬鹿みたいに人文書読んでました。来季は他分野の知識が欲しいと感じているところです。特に服飾とか情報工学

    一方、逆説的ですが何か専門だと言える分野がないと人間としての軸がぶれ続けるな、と感じた1年でもあります。知識のポートフォリオをよく考えて組まなければならない。

 

 それではみなさん、来年も良い読書ライフを~~~~

今年読んだ良かった本(小説編)

こんにちは。

そろそろ年も明け、人々は2018をやります。俺もまた、、、

今年は110冊くらい読んだ

 3年ほど音楽のことばかりやっており、全く本を読んでいませんでしたが、今年はその反動か読んでいくことが出来ました。

 

 人類のうち、「どう考えても、もっと他にやるべき事があるだろ」という時に限って、やるべきでないことを全力でやってしまう人類たちがいます。皆さんは、どちらですか?

 

 それで、途中まで律儀に某サービスで読書ログをつけてたんですが、大体100殺超えた所でやめました。理由は、マーケティングの授業で『内発的動機づけ』なる概念を知り、いつしか「俺は読書ログをつけるために読書をしているのではないか?今そうじゃないとしてもそうなってしまうんじゃないか?」という疑念が発生したためです。良い予想は大体外れますが、嫌な予感は大体当たります。人生です。しっかり予防していきます。殺を数えるな。

 

 今回ですが、ランキング形式でもなく、今年発売された本しばりもなく(てか金が無くて新刊ほとんど買えてねえ)、印象に残ったやつを延々と貼っていきます。気になった本があったらお近くの本屋や、無ければ電子熱帯雨林で買うのが良いでしょう。都会勢は国会図書館を利用するという手もある。 

 

 それじゃあやっていくぞ!知は力なり!つまり脳筋が真実!

 

分かりがつよい小説部門

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

 はい『百年の孤独』。

初めて手に取ったのは2,3年前だった(と思う)。「ホセ」、「アルカディオ」、「ブエンディア」が名前につくやつが十人以上出てきて完全に頭がおかしくなり、一度挫折したのですが、今年再挑戦し、ようやく倒しました。「小説から何か教訓を得たい!」系の方ですが、これはただただヤバいファンタジーなのでたぶん無理だと思います。死んだ人間が普通に歩いてたり(というかマコンドの村人が自分が死んでいることにあんまり気づいていない)、人がカーテンみたいにふわっと浮いたらそれっきり消えたりするんだぞ!じっくり読める大人のための絵の無い絵本。

 

罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 出ました『罪と罰』。メジャーどころが連発で読書ブログとしてどうなのか、という声が聞こえて来なくもないですが、安心してください、『騎士団長殺し』は出てきませんよ!(安心とは何か)。 

 今年は後半あたりから「ロシアをやる」という意識が芽生え始め、その筆頭がドストエフスキーでした。何となく敬遠していましたが、改めてみると会話のやり取りだけで異常に面白い。屑は屑を描くのが上手いということがわかると思います。後色々言われてるけどやっぱ亀山郁夫さんの翻訳は読みやすくてとても気が楽になりました。全3巻ですが……今年は『カラマーゾフの兄弟』も読みました。あっちもすごい。ただ『罪と罰』よりも物量があるのでみなさん覚悟をしましょう。

 

素粒子 (ちくま文庫)

素粒子 (ちくま文庫)

 

 ミシェル・ウェルベックを知れたのはもしかしたら最近一番の収穫だったかもしれません。ウィキ見る限りかなり本人もこじらせている様ですが、とにかくアカデミックな設定が付け焼刃では無くガチガチに作られている(ように見せるのが上手い)ため、ラストで明かされる壮大なSF的設定に、驚愕しつつも納得できます。 ブリュノといい、『服従』の主人公フランソワといい、どうしてこんなに生きるのがだるそうなのか、そして性欲だけはあるのか。フランス人とは何かについて考えていく。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

  なぜ『騎士団長殺し』を貼らなかったかというと、こっちの方が好きだからです。デビュー作から村上春樹は、登場人物に観念的な話をさせては唐突にセックスに持っていくのが好き。ただ構造が『騎士団長殺し』よりしっかりしている。デレク・ハートフィールドが実在の人物だと思ったのは俺だけではあるまい。「登場人物が人間臭くない」といって嫌う人はいるけど、内面をあえて詳細に書いてないだけで、こういう人物にどこか共感できる人実は多いと思う。

 

ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

 

 ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』を書いたマジキチおじさんのイメージが強すぎたのですが、本作の短編はどれも最小限の分量でこれ以上ないくらい深く掘り下げられた人物描写がやばく、特に『エヴリン』は旧版で文庫8ページくらいしかないんですが、その枚数で因縁と自由意志の間に恋が投げ入れられた人間の苦悩をえぐり出していて技術力のえげつなさを感じ最高でした。『ユリシーズ』を読む予定は今のところ無いです。

 

異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

 

 そのジェイムズ・ジョイスのガチリスペクター、アイルランドの作家ウィリアム・トレヴァーの作品集が国書刊行会から出ているのですが、『娘ふたり』で描かれる元女友達の心の揺れ具合の繊細さは一体何だ。風速1mm/hでも感じ分けられそうな心の風速計してやがる。ジョイスはわりと抽象度の高い修辞で心の動きを処理するイメージがありますが、トレヴァーはすごい。透明度の高い昼ドラ(そんなものはない)を見ている気になる。今年の配本は『ふたつの人生』です。買いたさがすごい。

 

以上、分かりがつよい小説部門(万人に薦められる)でした。

分かりが謎小説部門

人を選びます。責任が、とれない、、、

 

生成不純文学

生成不純文学

 

  今年はとにかく木下古栗という存在に出会えたのがマジででかい。後述しますがソローキンと並んでいかに文学・物語の既成構造を破壊するかという事に特化しており、『人間性の宝石・茂林健二郎』とかいう人をナメたような題名の短編は喫茶店で読んでて声を上げて笑ってしまいました。周りに居た人ほんとゴメンな。文学史上もっとも洗練された熟女AVの使い方を見ろ。

 

あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)

あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)

 

  木下古栗に通底する所があるといわれる反文学の先駆者、中原昌也。暴力と男性器特化型で、各エピソードを切断して、話らしい話を読者に再構成させることすら許さない所に作者のこだわりを感じる。

 

トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection)
 

  『ノーベル賞毎年とるとるいわれて毎回取れない部門』の横綱、東の村上春樹、西のトマス・ピンチョンです。『ポストモダン文学』といわれると、基本的には近代小説が志向する思弁・思想の展開、物語の因果的絶対性、西洋中心主義、人称の安定性……などなどのお約束を全部ぶっ壊す、というスタンスですが、上の2人が物語や構造をブチブチ切る切断型とするなら、ピンチョンはひたすら要素を足しまくってむちゃくちゃにする過剰型。チャールズ・メイスンもジェレマイア・ディクスンも実在の人物ですが、登場するジョークや機械、歴史的事実が明らかに実際の歴史とあっておらず、時計や機械の鳩が喋り出したりと、完全にファンタジー化しており、独特の文体で異様に読みにくさが増しています。登場人物を全部把握できるか?俺は諦めた。

 

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

 

  ロシアの怪物、ウラジーミル・ソローキンは、グラフィッカーが本職、きのこに詳しい男です。きのこ及びロシアの田舎での食卓描写に余念がないのですが、これらの退屈なロシアの日常描写はすべて複線であり、下巻の後半50ページ以上を使い、文学史上に残る恐ろしい反復が始まります。君は文章を読んでてその内容ではなく、入ってくる視覚情報上のエラーで吐きそうになったことがあるか?無ければこれを読んで吐け。

 

幻戯(めくらまし) (徳間文庫)

幻戯(めくらまし) (徳間文庫)

 

  日本で一番面白い西村寿行です。西村先生の哲学、『女は穴』『チンポが最強』『女はチンポに勝てない』『バックが正常位』が如何なく発揮されており、むつかしいことを考えずに読み切れるでしょう。この本では『勃起した寸止め状態のチンポを、青竹で繰り返し叩いて鍛えると、亀頭まで石のように硬くなる』という正しい知見が得られます。西村寿行は大量の本を書いていますが、大体どれも同じ哲学の元で書かれているので(たまに『犬はいい』『人間はダメ』もあるが)、マンネリといえばマンネリ、伝統芸能といえば伝統芸能です。はまった人は全部買っていきましょう。あと映像化情報ですが、来年福山雅治主演、ジョン・ウー監督で『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイクが日本公開らしいので興味ある人は行きましょう。しかしこの世界観が許される当時の人権意識すごい。おもしろくて、ためになる。

 

おわり

 今年読んだ中だと他には『悪人』、『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』、『世界終末戦争』など重たいのが多かったです。来年も、読むぞ~~

カリブのジャズでキマろう

つまり、事務連絡だけエントリしてもこのブログがどういう方向に行くのか読んでいて分からないというのがあり、大体どういう感じで進んでいくかというかを示すお試しキット、ゲートウェイドラッグという事です。

 

グルーヴでキマる

そういえば、こんな事件がありましたね。

 

www.houdoukyoku.jp



文春に感謝するどころではないアクロバティックな感謝で某八分音符シャープ系タレントに圧倒的な差を見せつける元花の里の女将ですが、我々は彼女の辿った道から学ばねばなりません。即ち、

 

「キマるなら合法的にキマろう」

 

ということです。

 

一口にキマるといってもいろいろあるでしょうが、今回紹介していくのはいわゆる「プリミティブリズム系」です。

 

個人的に、音楽を用いたキメ方は、

①鑑賞方法を工夫してキマる

②キマる仕掛けのある音楽を聴く

この二つに大別されると考えていて、今回紹介するのは後者になるわけです。

 

プリミティブリズム系というのは、そのまんまで、「聴いているうちに自分がアフリカにいたたった一人の人類ルーシーだった頃に回帰出来るようなリズム」を感じる曲ですね。すごくレヴィ=ストロース前後の文化人類学的歪みを感じるワードチョイスですが、黙殺します。

 

さっそく紹介していきましょう。

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