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なんちゃって宗教法人・味しみ大根教

実験施設。たまにエッセイ。※当方は実在する宗教法人ではありません。

開闢(はじめに)

現代は多重人格の時代である。

人々はインターネットの曖昧模"湖"の中で匿名化され、あちらこちらへ泳ぎまわる。

我々はこの湖の中で果たして幸せになれただろうか。

泳げば泳ぐほど、我々はこの湖を満たす昏き沈殿の中で酸欠になっていやしないか。

そして、私は泳ぐのが得意ではなかった。

 

 

春盛りを前にサブリミナルの如く挿入されたある寒い日の夜、たまたま立ち寄ったコンビニで購入したおでん。

そこに大根はあった。店を出てからすぐ、私はそれを頬張った。

 

泣いた。

 

それは奇妙な感覚だった。言い知れぬまま巨大な抽象画のように育った不安が、悩みが、後ろめたさが、鑑賞者たる私の心を傷つけ、寒い風が沁みた。

ただ、それまで自我の抱えていた物だけが涙を流させたのではない。

その大根は、やけに中途半端な味のしみ方をしていた。想像のハードルをギリギリ越えてこないオイオイオイ感が、寒空と相まって悲劇中のコメディのように響き、またほんの少しだけ涙を流した。

しかしこれだけでもまだ足りない。涙の理由を全て語る事は出来ない。涙は涙でのみ包摂されうるのである。その瞬間、世界にはただ、涙を流す私と味しみ大根だけがあったのだ。

 

私は天啓を受けたのである。

 

宗教を、つくろう!

というわけで、本題である。

このブログでは、少しずつ説話(っぽいもの)を増やしていき、味しみ大根を神とする宗教が果たして成り立ちうるのかを実験する。味しみ大根はただの食物から概念と化し、神性を帯びることができればこの実験は成功するのである。失敗した時は、このブログはおそらく味しみ大根に特化したクックパッドのなり損ないになるほかない。

エッセイも、たまには。

 さすがに四六時中味しみ大根の事を考えていれば、たいていの人間は頭がおかしくなってしまうだろう。そこで、たまにはわき道にそれて、日頃の事なども書ければよいな、と思っている。人間信仰だけでは生きてはいけない。飲み食べ寝なければならないのである。何かを人生の全てにすることはできない。

 

さて、それでは宗教と人生をはじめよう。

 

味しみ大根の民に幸いあれ。